オリジナル超短編小説logです。
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空飛ぶ小説家
ペンネームの頭は「あ行」が良いと云われて、成る程。
在り来たりな名前に為らぬようにそれでいて馴染み深く、呼び易く違和感の無い名前を考えていた。


小説を一本書き上げた。古風でざらつきのない作風が逆に新鮮だと云ってくれる人が居る。

籍も入れていないのに私の身の回りの世話をほぼ住み込み状態でしてくれた彼女に、つげ櫛を包んで渡した。
その包みを広げた際に、彼女は私の意図を汲み取って一瞬で顔を綻ばせた。

「はい、喜んで。」




正直、私は彼女を幸せにできるかどうかは判らない。
この処女作も手応えはあるが、それが当たって文壇への道が開かれるかどうかは完全に運次第である。
只、この物語を君が面白いと云って、隣で読み進めてくれることだけが唯一の生き甲斐のようであり、このような無計画な私に身を委ねられる彼女の勇気に感服していた。
だからせめてこの本が世に出されるまで先方様のご両親への挨拶は待つことにしている。




ペンネームが浮かばない。
ずっと温めてきた名前がちらつく。
じっと思案に耽る。

ペンネームが浮かばない。
机の上に置いたままの原稿用紙の束を眺めている。
座蒲団の上の足の指が痺れを切らして感覚を失くしていく。


ペンネームが浮かばない、と徐々に苛立ちを覚えた。
すると、原稿用紙の文字が一文字ずつふわりふわりと浮き上がり始めた。


順々に列を成し障子窓の隙間を縫って宙へ立ち昇ってゆく時刻、朝四時。
おい、おい、ちょっと待ちなさい。立ち上がって追い掛けたいが丁度足が痺れていて動けない。
一頻り足の痺れに悶絶してから、私は文字列の最後尾を引っ掴んだ。




紡いだ文字が綻んでしまった、と私は少し絶望していた。しっかり縫い合わせて留めておいたつもりだった故に。
彼女のご両親へのご挨拶も随分と先延ばしになるだろうかと思うと憂鬱だった。
巻末の尾を掴んで私は障子窓の隙間をすり抜けぐんぐんと空を昇っていく。
文字列たちは一直線になったり折り畳んで曲がりくねったりしながら雲を突き抜けていく。


白い靄が辺り一面に広がっていた。
私は半分放心状態になったまま、雲の上のそのまた上の雲の上に立って居た。

見覚えのある姿を視界に留めた。
使い込んで深みの増した書簡台に鎮座した、丸縁の眼鏡と細身が特徴の男は確かに生前の父そのものであった。
父は手元の巻物に、私の文章をするすると仮留めしながら、静かにそれを読んで居た。


幼き頃そうしたように、改まってその場に座り、ただ父が私の文章を読むのをじっと見て居た。
否、幼き頃のあのときは父が文字を書くのをずっと傍らで眺めて居たのだ。




父はそっと巻物を置き此方を見て、云った。
「まあ、いいんじゃないか。」
低く落ち着きのある声がそう云った。



聞きたいことは、色々あった。
けれど父は照れ臭そうにこめかみを掻いて目線を逸らしていた。

先の言葉は、私の小説のこともそうだが、彼女のことも示唆しているように、そう思えた。


「有難う御座いました。」

「うむ。これは返す。」

文字がやんわりと仮留めされた巻物は、ひどく手に馴染んだ。



するりと巻物を解くと、文字たちが飛び出し、竜の姿を象る。
一瞬躊躇したが、これに乗って帰ることとする。
竜は高く昇り始めた。いやいや、そっちじゃないよと云いたいところだったが、任せることにした。見馴れた門をくぐって、私は元居た部屋へと戻ってきた。



時刻は朝六時。六畳の間の仏壇の前で生前の父のペンネームの一文字を拝借することと決めて落着したのである。






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小説会からタイトル拝借しました。
いつしか書いた小説家夫婦の馴れ初め話を書きたいな、と思っていたのです。


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